『晋書』景帝紀を読んでみよう:その9

その8(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/08/02/000100)の続き。





甲申、次于㶏橋、儉將史招・李續相次來降。
(毋丘)儉・(文)欽移入項城、帝遣荊州刺史王基進據南頓以逼儉。帝深壁高壘、以待東軍之集。諸將請進軍攻其城、帝曰「諸君得其一、未知其二。淮南將士本無反志。且儉・欽欲蹈縱橫之迹、習儀・秦之説、謂遠近必應。而事起之日、淮北不從、史招・李續前後瓦解。内乖外叛、自知必敗、困獸思鬭、速戰更合其志。雖云必克、傷人亦多。且儉等欺誑將士、詭變萬端、小與持久、詐情自露、此不戰而克之也。」乃遣諸葛誕豫州諸軍自安風向壽春、征東將軍胡遵督青・徐諸軍出譙・宋之間、絶其歸路。
(『晋書』巻二、景帝紀

毋丘倹・文欽と司馬師の戦い、睨みあいとなる。



司馬師は「向こうの将は本気で従ってないし、向こうは速戦を望んでいるから戦わない方がいい。今に向こうの偽りが露見して戦わずして勝てる」と言ったのだとか。



戦場へは急行するけど対峙してからは積極的には打って出ない。エグイ緩急の使い分けである。


その一方で寿春や予州にも兵を向かわせて逃げ場を絶っておく。



このあたりは父司馬懿を彷彿とさせるものがある。