『漢書』昭帝紀を読んでみよう:その4

その3(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180116/1516028614)の続き。




四年春三月甲寅、立皇后上官氏。赦天下。辭訟在後二年前、皆勿聽治。
夏六月、皇后見高廟。賜長公主・丞相・將軍・列侯・中二千石以下及郎吏宗室錢帛各有差。
徙三輔富人雲陵、賜錢、戸十萬。
秋七月、詔曰「比歳不登、民匱於食、流庸未盡還、往時令民共出馬、其止勿出。諸給中都官者、且減之。」
冬、遣大鴻臚田廣明撃益州
廷尉李种坐故縱死罪棄市。
(『漢書』巻七、昭帝紀

始元4年。




上官皇后が立てられる。



その姓からわかるように上官桀の血族である。


初、(上官)桀子安取霍光女、結婚相親、光毎休沐出、桀常代光入決事。
昭帝始立、年八歳、帝長姉鄂邑蓋長公主居禁中、共養帝。蓋主私近子客河間丁外人。上與大將軍聞之、不絶主驩、有詔外人侍長主。長主内周陽氏女、令配耦帝。
時上官安有女、即霍光外孫、安因光欲内之。光以為尚幼、不聽。安素與丁外人善、説外人曰「聞長主内女、安子容貌端正、誠因長主時得入為后、以臣父子在朝而有椒房之重、成之在於足下、漢家故事常以列侯尚主、足下何憂不封侯乎?」外人喜、言於長主。長主以為然、詔召安女入為祜礱、安為騎都尉。月餘、遂立為皇后、年甫六歳。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝昭上官皇后)


上官皇后はこの時6歳。上官桀と霍光、両方にとっての孫娘である。



霍光は賛成ではなかったというが、ともあれこれで上官桀と霍光は今の皇帝自身と縁続きとなったのである。