『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その67

その66(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/29/000200)の続き。





或言燕王綰與豨通謀、上召盧綰。盧綰謂其臣曰、往年族淮陰侯・彭越、皆呂后計。今上疾病、呂后婦人、專欲誅異姓及大功臣。遂稱疾不行。上怒、使樊噲將兵撃之。綰將其家屬、與數千騎、居長城下、欲候上差、自入謝之。
上立沛侯濞為呉王。濞者、郃陽侯仲之子也。已拜、上相曰、汝面狀有反相。漢後五十年東南有亂、豈非汝也。然天下一家、慎勿反也。濞頓首曰、不敢。
上過魯、以大牢祀孔子
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第四)

燕王盧綰、逃げる。確かにこの時期の劉邦には猜疑心や焦りを感じる所があるが、とはいえ盧綰も怪しい動きをしてはいる。

燕王寤、迺詐論它人、脱勝家屬、使得為匈奴閒、而陰使范齊之陳豨所、欲令久亡、連兵勿決。
漢十二年、東撃黥布、豨常將兵居代、漢使樊噲擊斬豨。其裨將降、言燕王綰使范齊通計謀於豨所。高祖使使召盧綰、綰稱病。
(『史記』巻九十三、韓信盧綰列伝)


盧綰は陳豨及び匈奴と通謀していた、というのである。劉邦への疑心が根底にあったかもしれないが、こういう事をしていたのであれば、いずれ発覚してこういう結果になっていたのであろう。





呉王濞、爆誕。五十年ほど後、この王は確かにやらかす。そのあたりはもう分かっている人も多い事だろう。



それを完全に予知した劉邦は、予知能力の持ち主であったと解釈するのがもっとも妥当ではなかろうか。以前にも自分の暗殺の危機を予知で回避しているし。