100年の間に

荊王劉賈者、諸劉、不知其何屬初起時。
(『史記』巻五十一、荊燕世家、荊王劉賈)

荊王劉賈、高帝從父兄也、不知其初起時。
(『漢書』巻三十五、荊王劉賈伝)


劉邦の元にいた荊王劉賈。




彼は劉邦の親族であったと『史記』でも『漢書』でも書かれているが、『史記』ではどんな関係か不明と書かれている一方、『漢書』では「従兄」であったとされている。




両書の成立時期で見ると100年以上離れているわけだが、100年以上後から成立した方が詳しくなっているというのは、よく考えるとなかなか面白い現象である。



より近い時代に分からなかった事が、その後100年の間に分かる、というのは、この場合どういう事なんだろうなあ・・・。