『漢書』成帝紀を読んでみよう:その10

その9(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180403/1522681778)の続き。




陽朔元年春二月丁未晦、日有蝕之。
三月、赦天下徒。
冬、京兆尹王章有罪、下獄死。
(『漢書』巻十、成帝紀

陽朔元年。



王章字仲卿、泰山鉅平人也。少以文學為官、稍遷至諫大夫、在朝廷名敢直言。
元帝初、擢為左曹中郎將、與御史中丞陳咸相善、共毀中書令石顯、為顯所陷、咸減死髠、章免官。
成帝立、徴章為諫大夫、遷司隸校尉、大臣貴戚敬憚之。
王尊免後、代者不稱職、章以選為京兆尹。
時帝舅大將軍王鳳輔政、章雖為鳳所舉、非鳳專權、不親附鳳。會日有蝕之、章奏封事、召見、言鳳不可任用、宜更選忠賢。上初納受章言、後不忍退鳳。章由是見疑、遂為鳳所陷、罪至大逆。語在元后傳。
(『漢書』巻七十六、王章伝)

王章は成帝の弟の定陶王を遠ざけた大将軍王鳳を退けて、もう一人の弟である中山王の外戚馮野王を王鳳の代わりにするべきと成帝に進言し、成帝も一度は乗り気になったものの、王鳳の親戚王音らの活躍により、王鳳らは皇太后を動かして成帝を変心させた。


王章は逆に上奏文の問題点を指摘されて大逆罪とされ、最終的に処刑されている。




王鳳最大の危機であったが、それを乗り越えた事で王鳳を遮る事ができる者はいなくなったと言えよう。