『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その41

その40(https://t-s.hatenablog.com/entry/2018/12/26/000100)の続き。





春二月、遣張良立信為齊王。徴其兵擊楚。曹參為左丞相。
楚使武渉招信。信曰、吾嘗事項王不見用、事漢、漢深信我。我背之不祥。武渉已去。
蒯通説信曰、漢王敗滎陽、傷成皋、還走宛・葉間。此所謂智勇倶竭者也。楚兵困于京・索之間、迫于西山而不能進、三年于此矣。鋭氣挫于險塞、糧用盡于内藏。當今両主之命、懸于足下。為足下計者、莫若両存之、三分天下、鼎足而居。其勢莫敢先動。以足下之賢、有甲兵之衆、據彊齊、從燕・趙、出空虚之地以制其後、因民之欲、西向為百姓請命、天下孰敢不聽。足下案齊國之固、有淮泗之地、深拱揖讓、以懷諸侯、則天下君王相率而朝齊矣。信曰、吾豈可見利而背恩。通曰、常山王・成安君為刎頸之交、而卒相滅。大夫種存亡越、伯勾踐、身死。語曰、野禽殫、走狗烹。飛鳥盡、良弓藏。敵國滅、謀臣亡。故以交友言之、則不過陳・張。以君臣言之、則不過勾踐・大夫種。推此二者、足以觀之矣。且臣聞之、勇略振主者身危、功蓋天下者不賞。足下渉西河、虜魏王、擒夏説、下井陘、誅成安君之罪、以全於趙、脅燕、定齊、南擁楚人之兵數十萬之衆、遂斬龍且、西向以報。此所謂功無二于天下、而英略不世出者也。足下挾不賞之功、戴振主之威。歸楚、楚人不信。歸漢、漢人震恐。足下欲持此安歸乎。夫勢在人臣之位、而有高天下之名。臣竊危之。夫隨廝養之役、失萬乗之權。守擔石之祿、闕卿相之位。計成而不能行者、事之禍也。故猛虎之猶豫、不如蜂蠆之致螫。孟賁之狐疑、不如童子之必至矣。夫功者難成而易敗。時者難値而易失。願足下無疑。信猶豫不忍背漢、又自以功高、漢終不奪我齊、遂謝通。通去乃佯狂為巫。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第三)

劉邦韓信を仮の王ではなく正式な王という事にしてやる。まあ、同じ王でしかないはずの劉邦韓信を王にすると決めていいものなのかどうかという疑問もなくはないが。




韓信はそんな劉邦の気前の良さに感じ入ったのか、項羽の側の離反の誘いを断り、更に漁夫の利を得るべきだと囁く謀臣蒯通の言葉も聞き入れない。




とはいえ、命令が無いからと味方に付いたとわかっている斉に攻め込んだり、明らかに劉邦の足元を見て自分を斉王に立てろと要求してみたりと、既に韓信の言動は劉邦から見て信用できるものではなくなっているとしか思えないので、この期に及んで「漢に背くのは忍びない」「自分から国を奪うような事はすまい」などと思うのは余りに呑気じゃないか、とは感じる。



かといって、じゃあ劉邦に背けばいいのかというと、そうでもないだろう。蒯通が頼りにすべきと述べている趙の張耳は、確かに韓信に趙を取り戻してもらっているが、一方で劉邦とは旧知の仲であるから、韓信劉邦かを選ぶ時になって素直に韓信を選ぶとは限らない。



それに、韓信が率いていた軍の将たちというのは曹参など本来劉邦の腹心や子飼いの者たちばかりである。韓信劉邦に背いたら、彼らは素直に韓信を選ぶとは限らない。というか、選ばないだろう。

韓信は手足となるべき将たちに歯向かわれるか、あるいは将たちの多くを粛清するか、どちらにしても流石の韓信でもどん詰まりになりそうな道しか見えないわけである。



だから、韓信としては自分の事を考えてもこの場で劉邦に背く事が得策とは思えなかったのではなかろうか。