『漢書』景帝紀を読んでみよう:その8

その7(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20171109/1510154168)の続き。




五年夏、立皇子舜為常山王。
六月、赦天下、賜民爵一級。
秋八月己酉、未央宮東闕災。
更名諸侯丞相為相。
九月、詔曰「法令度量、所以禁暴止邪也。獄、人之大命、死者不可復生。吏或不奉法令、以貨賂為市、朋黨比周、以苛為察、以刻為明、令亡罪者失職、朕甚憐之。有罪者不伏罪、姦法為暴、甚亡謂也。諸獄疑、若雖文致於法而於人心不厭者、輒讞之。」
(『漢書』巻五、景帝紀

景帝中5年。



この年、諸侯王の国における宰相である「丞相」を、「相」と改称した。



「丞相」はこれ以降漢王朝にしかいないこととなる。



王国の宰相と王朝全体の宰相を区別するという目的と、王国の官と朝廷の官を明確に区別し、差を設けようという意図があったのだろう。





また、9月の「疑わしい事件、法律では決まっていても人情に合わないものについて中央に上告せよ」という制度も注目である。



そこまでではない裁判は郡県に委任されていたが、特殊な案件や疑問がある案件については、いわば再審する制度ということだろう。




中五年夏、立皇子舜為常山王。封十侯。
六月丁巳、赦天下、賜爵一級。
天下大潦。
更命諸侯丞相曰相。
秋、地動。
(『史記』巻十一、孝景本紀)

史記』も内容的に大きくは変わらない。