そういえば昨日も話に出した漢の景帝についてだが、その父の文帝は最後まで彼を皇太子から替えようとせず、母の竇皇后と共にずっと地位を危うくすることがなかった。
だがそれはどうやら文帝が寵愛していたらしい慎夫人らには子供が生まれなかったことも無関係ではなかったんじゃないか、と思わないでもない。
慎夫人(先日の曹丕による文帝批判にも出てきたように、文帝の寵姫といえば決まって慎夫人が出てくる。よほど寵愛されていたのだろうか)らにも子がいたら、さすがの文帝も撲殺太子を素直に皇帝にして良いものか、と考え込んだんじゃないかなあ、などと考えてしまう。