全盛期の文帝伝説2

光武皇帝之時、郎中汝南賁光上書言「孝文皇帝時、居明光宮、天下斷獄三人。」頌美文帝、陳其效實。光武皇帝曰「孝文時、不居明光宮、斷獄不三人。」積善修徳、美名流之、是以君子惡居下流
夫賁光上書於漢、漢為今世、筯益功美、猶過其實、況上古帝王久遠、賢人從後褒述、失實離本、獨已多矣。不遭光武論、千世之後、孝文之事、載在經藝之上、人不知其筯、居明光宮、斷獄三人、而遂為實事也。
(『論衡』芸増篇)

漢の世祖の時、「文帝の時代は天下全体で犯罪者の処断が三人しかいなかった」と上奏する者がいたそうな。



それに対して世祖は「三人ではなかったぞなもし」と答えたそうだ。





その頃、文帝が実態を超えて賛美されることがあったということらしい。風俗通先生も後漢末にそういうことを記している。*1




「世祖がそのことを言わなかったら、何世代もの後には文帝時代の事が話を盛ったと思われずに事実として扱われていたことだろう」と王充は喝破している。

*1:『風俗通』では三百人とされているが『論衡』では三人とされているのが面白い。