撲殺指令

決録注曰「故事尚書郎以令史久*1補之、世祖始改用孝廉為郎、以孝廉丁邯補焉。邯稱病不就。詔問『實病?羞為郎乎?』對曰『臣實不病、恥以孝廉為令史職耳!』世祖怒曰『虎賁滅頭杖之數十。』詔曰『欲為郎不?』邯曰『能殺臣者陛下、不能為郎者臣。』中詔遣出、竟不為郎。・・・(後略)」
(『続漢書』志第二十六、百官志三、少府、注引『三輔決録注』)

後漢の初代、かの聖天子世祖光武帝は、今まで尚書令史が昇進していた尚書郎を孝廉が任命される職に変えた。

尚書令史は地位自体は低い下役だったので、当時の人々の中には孝廉から尚書令史や尚書郎となることを恥じる者もいたらしい。



京兆尹陽陵の人、丁邯もそういう人だったらしく、彼は孝廉から尚書郎になることを病気と称して拒否した。



お怒りの光武帝、彼を直々に「お前マジ病気なの?それとも尚書郎になりたくないだけの仮病なの?どっちよ?」と尋問した。

彼は「仮病ッス。せっかく孝廉になったのに令史がやるような職に就くとかマジありえねーですよ」とあっさり答えた。



怒りマックスの光武帝、「虎賁の野郎ども、こいつの頭ベッコベコにしていいから」と言って脅す。

しかし彼は「陛下は私を殺すことは出来るッスけど、私を尚書郎にすることはできないッスよ?」と屈しない。


光武帝はついに諦めて彼を退出させましたとさ。




撲殺指令を出しても実際には撲殺しない光武帝は流石聖天子じゃのう。

間違いなくこの習性は2代目にも受け継がれてる



*1:この「缺」は「次」かもしれない。