行在所

更始遣侍御史持節立光武為蕭王、悉令罷兵詣行在所。
【注】
蔡邕獨斷曰「天子以四海為家、故謂所居為行在所。」
(『後漢書』紀第一上、光武帝紀上、更始二年)

「行在所」という言葉がある。


日本でも使われた言葉であるが、漢代にはこの言葉は「天子がいるところ」という意味として使われていたようで、特に都以外の場所にいるときに使うことが多かったようだ。






太祖征漢中、魏諷反於鄴。(楊)俊自劾詣行在所。
(『三国志』巻二十三、楊俊伝)

時太祖在長安、召(曹)彰詣行在所。
(『三国志』巻十九、任城威王彰伝)

最初に「天子がいるところ」と書いたが、どうやら厳密にはそれだけでもなくて、三国時代の魏国においては「王である曹操がいるところ」を指して「行在所」と呼んでいたようだ。




これが曹操を天子と同等に扱おうとしていた魏国内での僭上の沙汰であったのか、格式として皇帝から認められていたものだったのか、ここだけでは断定しがたいと思う。



ただ、少なくとも魏国内においては魏王の曹操こそが天子そのものと同格に扱われていたのではないか、ということは言えそうだ。