『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その36

その35の続き。


三月壬申晦、日有食之。
大赦天下。
策大司馬逯並曰「日食無光、干戈不戢、其上大司馬印韍、就侯氏朝位。」太傅平晏勿領尚書事、省侍中諸曹兼官者。以利苗男訢為大司馬。
莽即真、尤備大臣、抑奪下權、朝臣有言其過失者、輒拔擢。孔仁・趙博・費興等以敢撃大臣、故見信任、擇名官而居之。
公卿入宮、吏有常數、太傅平晏從吏過例、掖門僕射苛問不遜、戊曹士收繫僕射。莽大怒、使執法發車騎數百圍太傅府、捕士、即時死。
大司空士夜過奉常亭、亭長苛之、告以官名、亭長醉曰「寧有符傳邪?」士以馬箠撃亭長、亭長斬士、亡、郡縣逐之。家上書、莽曰「亭長奉公、勿逐。」大司空邑斥士以謝。
國將哀章頗不清、莽為選置和叔、敕曰「非但保國將閨門、當保親屬在西州者。」諸公皆輕賤、而章尤甚。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

三月壬申、日食があった。



天下全土に大赦令を下した。



大司馬逯並に策書を下した。「日食があり、戦は止まない。大司馬の印綬を返上し、侯として朝廷に参列せよ。」



太傅平晏は領尚書事とさせないようにし、侍中、諸曹らの官を兼ねている者を止めさせた。利苗男苗訢を大司馬とした。



王莽は真・天子となってから特に大臣を全て備えるようにしたが、下の者の権限を奪うことが多く、朝廷の臣下で大臣の過失を摘発する者は抜擢を受けた。
孔仁・趙博・費興らは大臣を攻撃することで信任され、特別な官に付けられた。
大臣たちが宮殿に入る際にはお付きの官吏の人数が定められていたが、あるとき太傅平晏のお付きの官吏の数が規定より多かった。掖門僕射はそれを不遜であるとして責めたが、太傅の戊曹士が掖門僕射を捕えた。王莽は怒って戦車や騎兵数百を出して太傅府を取り囲んでその戊曹士を逮捕し、戊曹士はすぐ死んでしまった。
また大司空士が夜に奉常亭を通った時、亭長が大司空士を誰何し、大司空士は官名を告げた。亭長は酔っていて「どうして通過するための割符を持っていようか」と言ったため、大司空士は亭長を馬用の鞭で打ち、亭長は大司空士を斬り殺して逃亡、郡県の役人は彼を追った。亭長の家が亭長について上奏し、王莽は「亭長は仕事でしたことであるから追ってはならない」と命じた。大司空王邑はその士を退けて謝罪した。
国将の哀章は特に清廉さが無く、王莽は特に彼のために和叔の官を置き、「ただ国将の家を守るためだけではなく、西方にいる親族たちを守るためでもある」と告げた。
公たちはみな軽々しくて賤しい者ばかりだったが、哀章は特にひどかった。


王莽の政治における監視政治的側面。




皇帝に権限を集中させるために下の者に上位者を監視させる、ということか。



理想論的には、上の者は真面目に仕事をするだろうし、悪事が摘発されていずれ悪は消えるだろう、ということなるのではないかと思うが、それは当然理想論でしかない。



よほど上手く匙加減しないと、直接的に行政を行うべき大臣たちは下の者に監視されて身動きが取れなくなるという自縄自縛体制が生まれるんじゃないかなあ、と思えてしまう。