『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その18

その17の続き。


深執謙退、推誠讓位。定陶太后欲立僭號、憚彼面刺幄坐之義、佞惑之雄朱博之疇、懲此長・宏手劾之事、上下壹心、讒賊交亂、詭辟制度、遂成簒號、斥逐仁賢、誅殘戚屬、而公被胥・原之訴、遠去就國、朝政崩壞、綱紀廢弛、危亡之禍、不隧如髮。詩云「人之云亡、邦國殄顇」、公之謂矣。
當此之時、宮亡儲主、董賢據重、加以傅氏有女之援、皆自知得罪天下、結讎中山、則必同憂、斷金相翼、藉假遺詔、頻用賞誅、先除所憚、急引所附、遂誣往冤、更徴遠屬、事勢張見、其不難矣!頼公立入、即時退賢、及其黨親。當此之時、公運獨見之明、奮亡前之威、盱衡窅色、振揚武怒、乘其未堅、厭其未發、震起機動、敵人摧折、雖有賁育不及持刺、雖有樗里不及回知、雖有鬼谷不及造次、是故董賢喪其魂魄、遂自絞殺。人不還踵、日不移晷、霍然四除、更為寧朝。非陛下莫引立公、非公莫克此禍。詩云「惟師尚父、時惟鷹揚、亮彼武王」、孔子曰「敏則有功」、公之謂矣。
於是公乃白内故泗水相豐・斄令邯、與大司徒光・車騎將軍舜建定社稷、奉節東迎、皆以功徳受封益土、為國名臣。書曰「知人則哲」、公之謂也。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)


(安漢公は)真心から地位を退こうとしたというのに、定陶太后は皇太后の地位を僭称しようとしましたが、公の面と向かって座席を替えさせた正義の心を憚り、朱博のような佞臣の類は淳于長・董宏が公に直接弾劾されたことに懲りて、上下心を合わせて讒言を重ね、制度を悪用して、僭称を成功させ、心ある賢人を退け、親戚を誅殺し、安漢公は伍子胥屈原のような讒言を受けて遠く領国へ追いやられ、朝廷の政治は崩壊し、綱紀は緩み、間一髪の危機となりました。『詩経』で「賢人が逃げ、国全体が滅ぼうとしている」というのは、安漢公のことを言っているのでしょう。



この時、哀帝には後継ぎがおらず、董賢は哀帝の寵愛に依拠し、更には皇后傅氏は哀帝の娘を生んでいることを頼りとしており、彼らはみな天下に対して罪があり、(かつて哀帝と帝位を争ったことから)中山王と敵対関係であるため、同じ悩みを共有し、哀帝の遺詔と称して恩賞や誅罰を乱発して先に憚る相手を排除し味方を引き寄せ、昔の事で無実の罪を着せ、遠い血縁の皇族を(皇帝として)呼び寄せようとしていました。その情勢はなんと大変なことであったことでしょう。安漢公がすぐに宮殿に入ったお蔭で、すぐに董賢や関係者を退けることができました。この時、侯は先見の明を持ち、さえぎる者のない勢いを奮い、眉を吊り上げて顔色を変えて怒りをあらわし、まだ董賢らの計画が固まる前に未然に防ぎ、敵の企みはくじかれました。孟賁や夏育のような勇士がいたとしても刃で刺し貫くのに間に合わず、樗里疾のような知恵者がいたとしても智謀を巡らすのに間に合わず、鬼谷先生のような弁舌の士がいたとしてもその場に間に合わなかったでしょう。そうして董賢は魂が抜けて自殺するに至りました。人が踵を返す間も無いうちに朝廷に平和が戻りました。陛下がいなければ安漢公が引き立てられることはなく、安漢公がいなければこの禍に打ち勝つことはなかったでしょう。『詩経』に「太公望は鷹が飛翔するが如く武王を助けた」といい、孔子が「早ければ成功する」というのは、安漢公のことを言っているのでしょう。



そこで安漢公は甄豊・甄邯・大司徒孔光・車騎将軍王舜らと共に新たな皇帝を立てるよう言上し、東から中山王を迎えたので、その功績と徳によって列侯の爵位や領土の加増を受けて王朝の名だたる臣となりました。『書経』に「人々のことを良く理解しているという知恵」というのは、安漢公のことを言っているのです。



哀帝死後、董賢が排除され王莽が権力を握った時の事についての、おそらく当時の公式見解と思われる内容が記される。



それによると、哀帝から後事を託された董賢と皇后傅氏は、哀帝や先代成帝から最も血縁が近い中山王(平帝)ではなく、より遠縁の劉氏を立てようとしたのだという。

成帝之議立太子也、御史大夫孔光以為尚書有殷及王、兄終弟及、中山王元帝之子、宜為後。成帝以中山王不材、又兄弟、不得相入廟。外家王氏與趙昭儀皆欲用哀帝為太子、故遂立焉。
(『漢書』巻八十、中山孝王興伝)


何故かと言えば、哀帝が成帝の皇太子となる際のライバルが当時の中山王(平帝の父)であったからである。遺恨がある関係であり、哀帝の関係者としては擁立するわけにはいかなかったのだ。



しかし中山王がいるのに敢えて遠縁を立てるというのは、きっとここで言われている通り無理筋だったのだろう。



なお、董賢排除に際しては王莽以上と言っていい位に従兄弟王閎の力が大きかったことは以前書いた。意図的なものかどうかわからないが、王閎の功績(董賢から皇帝の印綬を強奪した)は言及されていない。





それと、哀帝の傅皇后に娘がいた、すなわち哀帝に娘がいた、ということについては多分ここでしか言及されていないのではなかろうか。