蜜柑泥棒ではない

先日の記事を書いていて思ったんだが、やはり以前の記事では親孝行の権化である陸績のことを「蜜柑泥棒」と言っていた




だが、「鯉泥棒」「筍泥棒」がどうやら怪しいブロガーが言い出したような誹謗と言っても過言ではないとわかってしまった以上、「蜜柑泥棒」についても名誉回復を試みなければいけないのではないか。



そんな義務感に駆られていたのだが、謎の組織によって体調不良に陥ったため今日まで記事にできなかった。





陸績字公紀、呉郡呉人也。父康、漢末為廬江太守。
績年六歳、於九江見袁術。術出橘、績懐三枚、去、拜辭墮地、術謂曰「陸郎作賓客而懐橘乎?」績跪答曰「欲歸遺母。」術大奇之。
(『三国志』巻五十七、陸績伝)

陸績は袁術にお目見えした際、出された蜜柑三個を懐に入れて持ち帰ろうとした。


それを袁術に見つかると「母に食べさせてあげたい」と答えたのだという。





まず、もしこの蜜柑三個が陸績に与えられたのだとしたら、懐に入れて持ち帰るのは、もしかしたら「はしたない行為」ではあったのかもしれないが、窃盗とは言えないだろう。





また、仮に蜜柑三個は陸績に与えられたわけではなかったとしたらどうだろう。



その場合、確かに窃盗と言いうるかもしれない。



だが、この時の陸績はまだ六歳である。



現代日本であれば責任能力が無いとして刑法の対象にはならないってWikipedia先生が言ってた




ということは、少なくとも我々現代日本人としては六歳の陸績のことを窃盗犯とか万引きとか泥棒とか言うのは不当だということになるだろう。





というわけで、陸績の名誉回復の巻であった。