わからないこと:楽安王

奏使郭太后出居別宮、及遣樂安王使北詣鄴、又遣文欽令還淮南、皆(丁)謐之計。司馬宣王由是特深恨之。
(『三国志』巻九、曹爽伝注引『魏略』)

曹爽の腹心となった丁謐は、曹爽が郭太后を別の宮殿へ行かせたこと、楽安王を鄴へ行かせたこと、文欽を淮南へ行かせたことについて発案した張本人であったために司馬懿が特に恨んでいたのだという。




この「楽安王」とはいったい何者なんだろうか?



どうして鄴へ行かせたのだろうか?



どうして司馬懿はそれを恨みに思ったのだろうか?




わからないことばかりである。