『晋書』宣帝紀を読んでみよう:その21

その20(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/07/13/000100)の続き。





八年夏四月、夫人張氏薨。
曹爽用何晏・鄧颺・丁謐之謀、遷太后於永寧宮、專擅朝政、兄弟并典禁兵、多樹親黨、屢改制度。帝不能禁。於是與爽有隙。
五月、帝稱疾不與政事。時人為之謠曰「何・鄧・丁、亂京城。」
九年春三月、黄門張當私出掖庭才人石英等十一人、與曹爽為伎人。爽・晏謂帝疾篤、遂有無君之心、與當密謀、圖危社稷、期有日矣。帝亦潛為之備、爽之徒屬亦頗疑帝。
會河南尹李勝將莅荊州、來候帝。帝詐疾篤、使両婢侍、持衣衣落、指口言渴、婢進粥、帝不持杯飲、粥皆流出霑胸。勝曰「衆情謂明公舊風發動、何意尊體乃爾!」帝使聲氣纔屬、説「年老枕疾、死在旦夕。君當屈并州并州近胡、善為之備。恐不復相見、以子師・昭兄弟為託」。勝曰「當還忝本州、非并州。」帝乃錯亂其辭曰「君方到并州。」勝復曰「當忝荊州。」帝曰「年老意荒、不解君言。今還為本州、盛徳壯烈、好建功勳!」勝退告爽曰「司馬公尸居餘氣、形神已離、不足慮矣。」他日、又言曰「太傅不可復濟、令人愴然。」故爽等不復設備。
(『晋書』巻一、宣帝紀

司馬懿の正妻、張春華が死去。司馬師司馬昭の実母である。



タイミング的には、それに影響したかのような司馬懿の耄碌(という演技)。



また、少なくともこの『晋書』上では、曹爽らは「図危社稷」、つまり国家転覆を計画していた、とされる。司馬懿が消えた(とみなした)事で、曹爽がこれ以上狙うとしたら帝位しか無いだろう。真偽はともかく、曹爽は帝位を窺った、という事になる。同じ曹氏(血縁関係は無かったにしても)なので、他の者が狙うよりはハードルが低いというのはあったのかもしれない。


後宮の女官をわが物としたというのは、事実であれば確かに疑われてもおかしくはない、とは言えるだろう。




李勝が「本州」*1と言ったのを「并州」と聞き違え、粥をすすろうとしてこぼしてしまい、という有様であったし、数か月に渡って病気で表に出ず、正妻を失って気落ちもしていたかもしれない、といった状況も重なっていたから、これはガチであかんやつと思ったのも無理のない事であろう。数えで70歳位になっていたわけだし。




*1:李勝は荊州の人間。荊州刺史になったので「本州」と称している。