『三国志』明帝紀を読んでみよう:その10

その9(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/02/15/000100)の続き。





秋七月壬寅、帝親御龍舟東征、(孫)權攻新城、將軍張穎等拒守力戰、帝軍未至數百里、權遁走、(陸)議・(孫)韶等亦退。
羣臣以為大將軍方與諸葛亮相持未解、車駕可西幸長安。帝曰「權走、亮膽破、大將軍以制之、吾無憂矣。」遂進軍幸壽春、録諸將功、封賞各有差。
八月己未、大曜兵、饗六軍、遣使者持節犒勞合肥・壽春諸軍。
辛巳、行還許昌宮。
司馬宣王與亮相持、連圍積日、亮數挑戰、宣王堅壘不應。會亮卒、其軍退還。
冬十月乙丑、月犯鎮星及軒轅。戊寅、月犯太白。
十一月、京都地震、從東南來、隠隠有聲、搖動屋瓦。
十二月、詔有司刪定大辟、減死罪。
(『三国志』巻三、明帝紀

青竜2年後半。



孫権陸遜(陸議)らは烈祖様がやってくると逃げた。このあたりの烈祖様の判断はおそろしく的確である。



諸葛亮は陣没して蜀漢の軍も退く。



太和五年十一月乙酉、月犯軒轅大星。占曰「女主憂。」十二月甲辰、月犯鎮星。占曰「女主當之。」六年三月乙亥、月又犯軒轅大星。青龍二年十一月乙丑、月又犯鎮星。三年正月、太后郭氏崩。
・・・(中略)・・・
龍二年十月戊寅、月犯太白。占曰「人君死、又為兵。」景初元年七月、公孫淵叛。二年正月、遣司馬懿討之。三年正月、明帝崩。
(『宋書』巻二十三、天文志一)

なお、今回の記事にある天体の動きについては、前者は皇太后の死の予兆で、後者は烈祖様の死の予兆とされるらしい。



蜀呉連携攻撃を守り切り、諸葛亮も死んで、魏王朝の戦いはこれからだ!という感じであるのに、まだ若い烈祖様には早くも死神の影がちらつくのであった(ネタバレ)。