玉虎点睛

始皇元年、騫霄國獻刻玉善畫工名裔。使含丹青以漱地、即成魑魅及詭怪羣物之象、刻玉爲百獸之形、毛髪宛若真矣。皆銘其臆前、記以日月。工人以指畫地、長百丈、直如繩墨。方寸之内、畫以四瀆五岳列國之圖。又畫爲龍鳳、騫翥若飛。皆不可點睛、或點之、必飛走。始皇嗟曰、刻畫之形、何得飛走。使淳漆各點両玉虎一眼睛、旬日則失之、不知所在。山澤之人云、見二白虎、各無一目、相隨而行、毛色相似、異於常見者。至明年、西方獻両白虎、各無一目。始皇發檻視之、疑是先所失者、乃刺殺之、檢其胸前、果是元年所刻玉虎。迄胡亥之滅、寶劒神物、隨時散亂也。
(王嘉『拾遺記』)

始皇帝の時、ある名人がいて、絵の具を口に含んで地面に吹きかければ化け物の類の絵となり、玉を削っては本物そっくりの動物たちの像を作ることができた。



だがその像などに目を入れてしまうと勝手に動き出して飛び去ってしまうと言われ、それを疑った始皇帝は試しにその名人の作った玉製の虎に目を入れてみた。


そうしたら案の定数日後に逃げて行ってしまったが、翌年に二体の白い虎が始皇帝に献上された。


その虎を殺して調べさせてみたところ、その名人が作った銘が残っていたのだという。







「画竜点睛」の話の原型なのだろうか。


この話では絵ではないし竜でもないけれど。