呂政と班固

孝明皇帝十七年十月十五日乙丑、曰
周曆已移、仁不代母。秦直其位、呂政殘虐。然以諸侯十三、并兼天下、極情縱欲、養育宗親。・・・(後略)・・・
【正義】班固典引云、後漢明帝永平十七年詔問班固「太史遷贊語中寧有非邪?」班固上表陳秦過失及賈誼言答之。
【索隱】呂政者、始皇名政、是呂不韋幸姫有娠、獻莊襄王而生始皇、故云呂政。
(『史記』巻六、秦始皇本紀)

史記』の中で何故か後漢明帝の時の話と明記した上で始皇帝を「呂政」と称する部分があるのだが、少なくとも『史記』注釈はそれを班固の言としていたようだ。



つまり班固は「始皇帝呂不韋の子」説を奉じていたという事だ。