70歳を過ぎたら罪人

(田豫)徴為衛尉。屢乞遜位、太傅司馬宣王以為豫克壮、書喻未聽。豫書答曰「年過七十而以居位、譬猶鐘鳴漏盡而夜行不休、是罪人也。」遂固稱疾篤。
(『三国志』巻二十六、田予伝)

魏の田予は高齢になるまで辺境にあり、それから中央の衛尉として呼び戻された。



しかし田予は引退を望んだが、当時の太傅司馬懿はまだやれると思い慰留した。



それに対し田予は「70歳を過ぎても官位にあるというのは、例えれば鐘が鳴り水時計の水が尽きた夜中になっても就寝せずうろうろしているようなもので、罪人である」という例えを持ち出して反論し、重病であると称したのであった。





秋八月戊寅、崩於京師、時年七十三。
(『晋書』巻一、宣帝紀

田予が反論した相手である司馬懿といえば明らかに70歳を超えてもなお官位にあったわけで、田予は意図していなかったのだとは思うが*1この反論は司馬懿批判みたいになってしまったのであった。

*1:もっとも、田予がいつこの反論を述べたのか不明なので、司馬懿も70歳になろうとしてる中で為された可能性もある。その場合は意図的なものだということになるだろう。