ツイッター上で知った(教わった)話。
改郡太守曰大尹、都尉曰太尉、縣令長曰宰、御史曰執法、公車司馬曰王路四門、長樂宮曰常樂室、未央宮曰壽成室、前殿曰王路堂、長安曰常安。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)
王莽は即位すると漢代の官名や地名などを変更し、都の「長安」を「常安」と改名した。
この「常安」という呼び名は新が滅ぶとまたサラッと長安に戻されていたが、上記のとおり五胡十六国の時代の姚萇の秦(後秦)の時にもまた「常安」と改名されたのだそうだ。
「王莽と同じだなんてありえないよねー」って反対意見は出なかったのだろうか、と思う。