呉の楽曲

是時呉亦使韋昭制十二曲名、以述功徳受命。改「朱鷺」為「炎精缺」、言漢室衰、孫堅奮迅猛志、念在匡救、王迹始乎此也。改「思悲翁」為「漢之季」、言堅悼漢之微、痛董卓之亂、興兵奮撃、功蓋海内也。改「艾如張」為「攄武師」、言權卒父之業而征伐也。改「上之回」為「烏林」、言魏武既破荊州、順流東下、欲來爭鋒、權命將周瑜逆撃之於烏林而破走也。改「雍離」為「秋風」、言權悦以使人、人忘其死也。改「戰城南」為「克皖城」、言魏武志圖并兼、而權親征、破之於皖也。改「巫山高」為「關背徳」、言蜀將關羽背棄呉徳、權引師浮江而擒之也。改「上陵曲」為「通荊州」、言權與蜀交好齊盟、中有關羽自失之愆、終復初好也。改「將進酒」為「章洪徳」、言權章其大徳、而遠方來附也。改「有所思」為「順暦數」、言權順籙圖之符、而建大號也。改「芳樹」為「承天命」、言其時主聖徳踐位、道化至盛也。改「上邪曲」為「玄化」、言其時主修文武、則天而行、仁澤流洽、天下喜樂也。其餘亦用舊名不改。
(『晋書』巻二十三、楽志下、四時祠祀)


昨日の続き。




魏と並立して正統性を争う立場だった呉では同じ楽曲がこんな風に変えられていた。




孫堅が漢の衰微や董卓の乱に対して奮迅の働きを見せ、孫権がその業を継ぎ、曹操を烏林や皖城で破り、恩義に背いた関羽を討ち、蜀と同盟を結び、天命に従って即位した、というストーリー。




呉における「孫氏に天命が降る」ストーリーが凝縮されているのだろうが、何故か世紀末覇王っぽい長男の事が表に出て来てないとか、烏林(赤壁)がやはりクローズアップされているとか、関羽の扱いとか、なかなかに興味深いと言える。





魏と呉それぞれに王朝として「契機だと捉えていること」と「なるべく隠しておきたいこと」が透けて見えて面白い。