みんなで広げよう畜生の輪

會先主薨、諸葛亮訒芝使呉、亮令芝言次可從(孫)權請(張)裔。裔自至呉數年、流徙伏匿、權未之知也、故許芝遣裔。裔臨發、權乃引見、問裔曰「蜀卓氏寡女、亡奔司馬相如、貴土風俗何以乃爾乎?」裔對曰「愚以卓氏之寡女、猶賢於買臣之妻。」權又謂裔曰「君還、必用事西朝、終不作田父於閭里也、將何以報我?」裔對曰「裔負罪而歸、將委命有司。若蒙徼倖得全首領、五十八已前父母之年也、自此已後大王之賜也。」權言笑歡悦、有器裔之色。裔出閤、深悔不能陽愚、即便就船、倍道兼行。權果追之、裔已入永安界數十里、追者不能及。
(『三国志』巻四十一、張裔伝)

蜀漢張裔益州太守となって蜀に対する反乱者雍闓に捕らわれ、呉に送られてしまった。




その後、諸葛亮の願いによって孫権張裔を蜀へ送り返すこととなったが、最後に孫権張裔が面会することとなった。



そこで孫権は彼を試すようなことを尋ねてみた。



「蜀の卓文君は司馬相如のもとへ逃げたけど、あんたんとこはそういう風習なの?」



卓文君は家を捨てて恋人司馬相如に駆け落ちしたと記録されている女性である。


つまり、蜀の風土が儒教的観点から見ておかしいやろ、淫乱テディベアやろ、と言っているわけだ。






それに対し張裔はこう答えた。




「あっさり夫を捨てた朱買臣の妻よりは賢明ちゃいますか?」





前漢の朱買臣は呉人である。


いつまでもうだつの上がらない彼を、妻は離婚して事実上捨てたと記されている。




つまり、呉は自分のこと棚に上げて何を言ってるんですか、ということである。






この相手をチクリと刺さずにはいられない上に余計なこと言ってしまうタイプの機智・・・どこかで見覚えがある・・・。




汝南許文休入蜀、謂(張)裔幹理敏捷、是中夏鍾元常之倫也。
(『三国志』巻四十一、張裔伝)

許靖張裔を中原の鍾繇の仲間だと評した・・・。



あっ・・・。*1

*1:今回の記事はhttps://twitter.com/Rieg__Goh/status/586749389219037184のだいたいパクリである。ありがとう六合氏!!(事後承諾)