太公望と張良

開元十九年、始置太公尚父廟、以留侯張良配。
(『新唐書』巻十五、礼楽志五)

唐代に太公望が「武成王」とされて廟が作られたことは先に述べたが、最初に太公望の廟が作られた時、張良がその廟に合祀されたのだという。



つまり、周王朝の勃興を支えた太公望と、漢王朝の勃興を支えた張良を似たような存在として考えたのだろう。




歴代天子の廟でも三皇五帝以外では周と漢の廟が立てられていたし、どうやら唐は長期にわたって続いた統一王朝として周と漢を特に称揚する方針であったようだ。