孫晧天紀中、童謠曰「阿童復阿童、銜刀游渡江。不畏岸上獸、但畏水中龍。」武帝聞之、加王濬龍驤將軍。及征呉、江西眾軍無過者、而王濬先定秣陵。
(『晋書』巻二十八、五行志中、詩妖)
咸寧初、除征南大將軍開府儀同三司、得專辟召。初、(羊)祜以伐呉必藉上流之勢。又時呉有童謠曰「阿童復阿童、銜刀浮渡江。不畏岸上獸、但畏水中龍。」祜聞之曰「此必水軍有功、但當思應其名者耳。」會益州刺史王濬徴為大司農、祜知其可任、濬又小字阿童、因表留濬監益州諸軍事、加龍驤將軍、密令修舟檝、為順流之計。
(『晋書』巻三十四、羊祜伝)
晋による呉征服の際に水軍を率いた王濬がその役目を与えられた理由。
この時、呉では「阿童阿童、刀を加えて長江を船で渡る。岸辺の獣など畏れないが、水中の竜を畏れる」といった謎の童謡が流行った。
それを知った羊祜は、益州で呉征伐用の軍艦を作っていた王濬の幼少時の字が正に「阿童」であったことから、大司農になるところだった王濬を監益州諸軍事に任命して益州にとどめ、「水中の竜」にちなみ龍驤将軍を与えることを上奏し、裁可されている。
つまり謎の予言詩に現実を合わせることで予言の実現を図ったのである。
成功しているので謎のオカルトパワー的な話で済むが、失敗していたら王莽が予言に合わせて大臣を任命した件なんかと並ぶ愚行扱いされていたのではないだろうか。