夏侯玄不快の理由

(夏侯)玄字太初。少知名、弱冠為散騎黄門侍郎。嘗進見、與皇后弟毛曾並坐、玄恥之不悦、形之於色。明帝恨之、左遷為羽林監。
(『三国志』巻九、夏侯玄伝)

(毛)嘉本典虞車工、卒暴富貴、明帝令朝臣會其家飲宴、其容止舉動甚蚩騃、語輒自謂「侯身」、時人以為笑。
(『三国志』巻五、明悼毛皇后伝)

ああそうか、夏侯玄が毛曽と並ぶのを恥じたというのは、毛曽が外戚だという事自体ではなく、毛曽が低い身分の出で、父がその所作で他の貴人たちからバカにされていたということを受けてのものなんだな。




「こんな教養も何もない賤しいヤツとは一緒にいられるものか」という意識だったわけだ。