大将軍掾同士

魏略曰、(甄)后年十四、喪中兄儼、悲哀過制、事寡嫂謙敬、事處其勞、拊養儼子、慈愛甚篤。
(『三国志』巻五、文昭甄皇后伝注引『魏略』)

『魏略』によれば、明帝の母である甄氏は14歳にして兄の甄儼を失ったのだとか。



魏書曰、(甄)逸娶常山張氏、生三男五女。長男豫、早終。次儼、舉孝廉、大將軍掾、曲梁長。次堯、舉孝廉。長女姜、次脱、次道、次榮、次即后。后以漢光和五年十二月丁酉生。
(『三国志』巻五、文昭甄皇后伝注引『魏書』)

甄氏の誕生は光和5年(西暦182年)であるから、兄甄儼が死んだのは数え14歳の時は興平2年(西暦195年)ということになる。




そして、甄儼は大將軍掾や曲梁長になったという。




興平2年より以前の大将軍というと、真っ先に思い出されるのは何進であろう。




そして、何進の元で大将軍掾になった人物といえば、袁紹がいる。




時期は重なっていないかもしれないが、袁紹と甄儼とは同じ何進門下の関係、(おそらく)戦乱以前からの知り合いだったわけだ。





袁紹の息子袁煕の妻として甄氏が迎えられた背景には、このつながりがあったりしたのだろうか。