働きたくないでござる

正始中、遷侍中尚書僕射。(李)豐在臺省、常多託疾、時臺制、疾滿百日當解祿、豐疾未滿數十日、輒暫起、已復臥、如是數歳。
(『三国志』巻九、夏侯玄伝注引『魏略』)

三国時代、魏の李豊は侍中尚書僕射になったが、病気と称して実際には出勤しない事が多かったという。



当時の尚書台の規則では病休が百日になると俸給が解除されたというが、李豊は数十日で出勤し、また病休を取り、数十日でまた出勤し・・・と俸給ストップにならない程度に休みを繰り返したそうだ。





正直、実際に病気だったとは思えないわけだが、これはただ「働きたくないでござる!」と叫んでいたということではなく、当時の曹爽と司馬懿の間をゆらゆらしていたと評された李豊が、両者の板挟みになってしまうのを避けようと試みた一種の韜晦なのかもしれない。