蟹の形

(曹)仁果遣其子泰攻濡須城、分遣將軍常雕・督諸葛虔・王雙等、乗油船別襲中洲。中洲者、部曲妻子所在也。仁自將萬人留橐皋、復為泰等後拒。(朱)桓部兵將攻取油船、或別撃雕等、桓等身自拒泰、燒營而退、遂梟雕、生虜雙、送武昌、臨陳斬溺、死者千餘。權嘉桓功、封嘉興侯、遷奮武將軍、領彭城相。
(『三国志』巻五十六、朱桓伝)

曹仁の配下の将に「諸葛虔」という者がいる。


まああの諸葛氏の関係なのだろう。



江表傳曰、是歳(孫)權遣諸葛壹偽叛以誘諸葛誕、誕以歩騎一萬迎壹於高山。權出涂中、遂至高山、潛軍以待之。誕覺而退。
(『三国志』巻四十七、呉主伝、赤烏十年)

一方、孫権の元にいた「諸葛壹」なる者が、魏の諸葛誕に対して偽降伏を行って諸葛誕に奇襲をかけようとしたという。





この「諸葛壹」は「諸葛虔」と同一人物ではなかろうか。


字形が似ているではないか。「聲」「蟹」のように。





「諸葛虔」=「諸葛壹」は諸葛誕の近しい親族で、上記の戦い、またはその後のどこかで呉に捕えられるか降伏して呉に仕えるようになったのではなかろうか。


それゆえに諸葛誕が呉との境界付近に赴任したことを呉は好機と見て「近親の諸葛誕に降伏する」という体を作ったのだろう。