隔世遺伝

和嶠性至儉、家有好李、帝求之、不過數十。(王)濟候其上直、率少年詣園、共啖畢、伐樹而去。
(『晋書』巻四十二、王済伝)

西晋の時、高官和嶠の妻の兄弟に当たる王済(王昶の孫で王渾の子)は、和嶠の家の美味しいスモモをケチで有名な和嶠があまりくれないことに腹を立てた。




そこで王済は和嶠が宿直で邸宅にいないのを見計らって大食漢の若者たちを引き連れてそのスモモのある荘園を訪れ、そのスモモを散々食い散らかした上にその木を切り倒して帰っていた、という。





このストレートに畜生な所業、まるであの人を思い出すな・・・。





王渾妻鍾氏、字琰、潁川人、魏太傅繇曾孫也。父徽、黄門郎。琰數歲能屬文、及長、聰慧弘雅、博覽記籍。美容止、善嘯詠、禮儀法度為中表所則。既適渾、生濟。
(『晋書』巻九十六、列女伝、王渾妻鍾氏)

あっ・・・(察し)