はんらんパパ

勃海妖賊蓋登等稱「太上皇帝」、有玉印・珪・璧・鐵券、相署置、皆伏誅。
(『後漢書』紀第七、孝桓帝紀、延熹八年)

沛國戴異得黄金印、無文字、遂與廣陵人龍尚等共祭井、作符書、稱「太上皇」、伏誅。
(『後漢書』紀第七、孝桓帝紀、延熹九年)

後漢桓帝の時、連続して「太上皇」を名乗る反乱者が現れたらしい。




太上皇」といえば皇帝の父のことなのだが、桓帝はみんなが「俺こそがパパだ」と名乗り出たくなるような子だったということなのかな・・・?*1



*1:たぶん違う。