百の棺

(曹)襃在射聲、營舍有停棺不葬者百餘所、襃親自履行、問其意故。吏對曰「此等多是建武以來絶無後者、不得埋掩。」襃乃愴然、為買空地、悉葬其無主者、設祭以祀之。
(『後漢書』列伝第二十五、曹褒伝)

後漢の和帝の時、儒者の曹褒は射声校尉になった。



そこで、その軍営内に埋葬されずに放置されている棺が百以上もあるのを発見した。



それについて吏に尋ねると、「これは建武以来身寄りが無いため埋葬されずに残っている棺です。」と答えた。



曹褒は彼らのために土地を買い、その棺を埋葬して祭祀を執り行ったという。





兵士が死んだ場合、棺に入れるまでは官で行い、埋葬は遺族が行う、ということなのだろう。





建武ということは初代光武帝の頃ということなのだが、その頃から放置されていた棺は大変なことになっていたりしないのだろうか・・・。