都亭侯×2

徐晃字公明、河東楊人也。為郡吏、從車騎將軍楊奉討賊有功、拜騎都尉。李傕・郭艴之亂長安也、晃説奉、令與天子還洛陽、奉從其計。天子渡河至安邑、封晃都亭侯。
(『三国志』巻十七、徐晃伝)

又與史渙撃袁紹運車於故市、功最多、封都亭侯。
(『三国志』巻十七、徐晃伝)


徐晃は元白波の楊奉に従っており、楊奉に李傕・郭艴らから離反し皇帝を洛陽に戻すよう進言して都亭侯の地位を得たという。




だがその後曹操の元に降った徐晃は、袁紹との戦いの功績で都亭侯の地位を得たとされている。





これはどちらかの記述に誤りがあるのか、それとも最初の都亭侯はどこかの段階でボッシュートされたということなのか。

どっちだろうか。