諡を贈る者

年八十二、卒於家。策書弔祭。郷人謚曰文父。門人為立廟、郡文學掾史春秋饗射常祠之。
(『後漢書』列伝第二十上、楊厚)

後漢の楊厚という人物は災異に詳しく、朝廷からも何度も特別扱いで召し出されるような人物だったが、官には就かずに無官のまま死亡した。



地元で尊敬されていた彼に、同郷の人間たちは「文父」なる諡を贈ったのだという。





諡は朝廷が贈るものだけでもないらしい。



朝廷の諡と思われているものの中に同郷の人間による諡が混ざっていたりしないよな・・・?