壮節侯を贈った者

昨日の記事http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130714/1373734281について。





といったご指摘をむじん大先生よりいただいた。




王國使故酒泉太守黄衍説(傅)燮曰「成敗之事、已可知矣。先起、上有霸王之業、下成伊呂之勳。天下非復漢有、府君寧有意為吾屬師乎?」燮案劒叱衍曰「若剖符之臣、反為賊説邪!」遂麾左右進兵、臨陣戰歿。謚曰壯節侯。
(『後漢書』列伝第四十八、傅燮伝)


なるほど、涼州の反乱で孤立した傅燮は反乱者(韓遂ら)に投降することも逃げることも無く玉砕の道を選んだ。


その彼に「壮節侯」なる諡が贈られたというのだが、彼が列侯になったという記録は無いのである。





ただ、これは昨日の記事で挙げたような郷人による諡の可能性のほか、死後に列侯を追贈されたことが書いていないだけかもしれない*1し、反乱勢力側が与えた「諡」の可能性だってあるかもしれない。

*1:それなら息子傅幹あたりがその爵位を継いでいそうだが。