常保

閏月辛丑、廣川王常保薨、無子、國除。
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀


後漢安帝の弟で広川王となった人物の名は「劉常保」という二文字名なのか*1



当時二文字名は全くないわけでもないけど少数派だったようなので、当時の感覚だと「何あのキラキラネーム」とか思われたりしたのかもしれないなあ。




あるいは、前漢では二文字名は多かったので、二文字名は現代で言えば「太郎」みたいな古臭い命名と思われたかもしれない。

*1:安帝の子(順帝)の名前が「保」なのでかぶっていておかしい、と言っている人もいる。