北郷侯

明年三月、安帝崩、北郷侯立、濟陰王以廢黜、不得上殿親臨梓宮、悲號不食、内外羣僚莫不哀之。及北郷侯薨、車騎將軍閻顯及江京、與中常侍劉安・陳達等白太后、祕不發喪、而更徴立諸國王子、乃閉宮門、屯兵自守。
(『後漢書』紀第六、順帝紀


後漢安帝の後に皇帝に即位した(擁立された)北郷侯(劉懿)はその年のうちに死んでしまい、結果として順帝劉保が即位した。




この北郷侯懿は、それ以前に即位した殤帝劉隆が赤子でやはりすぐ死んだのと同様に乳幼児なのかと勝手に思い込んでいたのだが、よく考えると特に年齢については書かれていない。



傍系から擁立されていた事を考えると、むしろある程度の年齢には達していたと思うべきか。




というか、北郷侯が幼児であったと早合点していたのは私くらいかもしれないが*1

*1:もっとも、どこかに北郷侯の年齢について記録があるかもしれないが・・・。