亭侯=郷侯=都郷侯?

詔曰「梁冀姦暴、濁亂王室。孝質皇帝聰敏早茂、冀心懐忌畏、私行殺毒。永樂太后親尊莫二、冀又遏絶、禁還京師、使朕離母子之愛、隔顧復之恩。禍害深大、罪釁日滋。頼宗廟之靈、及中常侍單超・徐璜・具瑗・左悺・唐衡・尚書令尹勳等激憤建策、内外協同、漏刻之輭、桀逆梟夷。斯誠社稷之祐、臣下之力、宜班慶賞、以酬忠勳。其封超等五人為縣侯、勳等七人為亭侯。」
(『後漢書』紀第七、孝桓帝紀、延熹二年)

延熹中、誅大將軍梁冀、帝召(尹)勳部分衆職、甚有方略、封宜陽郷侯
(『後漢書』列伝第四十七、劉瑜伝)

桓帝誅大將軍梁冀、(尹)勳參建大謀、封都郷侯
(『後漢書』列伝第五十七、党錮列伝、尹勳)


この3つの記述を読む限り、「亭侯」と「宜陽郷侯」と「都郷侯」は同じものを指すらしい。



「郷侯」は「亭侯」というカテゴリーの一部ということだろうか。

「都郷侯」は「郷侯」の中の更に細かい区分のひとつということか。