百万の軍勢を率いても

初、太傅(訒)禹歎曰「吾將百萬之衆、未嘗妄殺一人、其後世必有興者。」
(『後漢書』紀第十上、和熹訒皇后紀)

後漢光武帝の功臣訒禹は、「私は百万の軍勢を率いていてもいまだかつて一人だって妄りに命を奪ったりはしなかったから、子孫から大成する者が現れることだろう」といったことを言っていたのだそうだ。




「先祖の善行が子孫の栄光に繋がる」とでもいった思想が当時根強かったようだ。





(訒)禹慙於受任而功不遂、數以飢卒徼戰、輒不利。三年春、與車騎將軍訒弘撃赤眉、遂為所敗、衆皆死散。事在馮異傳。獨與二十四騎還詣宜陽、謝上大司徒・梁侯印綬
(『後漢書』列伝第六、訒禹伝)

大敗したけど妄りには殺してないからセーフ(棒)