彼らの先祖は光武帝の頃に隴西から引越ししてきたのだという。
於是司直陳崇舉奏其宗親隴西辛興等侵陵百姓、威行州郡。(王)莽遂按(辛)通父子・遵茂兄弟及南郡太守辛伯等、皆誅殺之。辛氏繇是廢。
(『漢書』巻六十九、辛慶忌伝)
なぜ彼らが引越ししたのかというと、その根本には隴西の辛氏が王莽の頃に一族揃って反乱者扱いされて誅殺されたという理由があったのだと思う。
もし隴西で大きな勢力を誇る一族であれば、財力や権勢を失うことになる引越しをする必要が無いからだ。
辛氏の場合は主だった者が誅殺されて勢力を失ったため、その地に居続けてもプラスがなかったのだろう*1。
辛氏の場合、実は追い詰められた窮余の策であったFA移住が成功したということなのだろう。