王莽八つの誓い

大司馬護軍襃奏言「安漢公遭子宇陷於管蔡之辜、子愛至深、為帝室故不敢顧私。惟宇遭辠、喟然憤發作書八篇、以戒子孫。宜班郡國、令學官以教授。」事下羣公、請令天下吏能誦公戒者、以著官簿、比孝經。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)


王莽は漢の平帝の後見人として「安漢公」なる地位に就いた。


だがその長男の王宇は父の方針を良く思っておらず、方針変更させるために怪奇現象をでっちあげようとした。



しかしそれは発覚し、王宇とその一党は逮捕された。

王宇は父によって自殺させられ、一党は残らず処刑された。




その後、王莽はこの事件を反省し、「子孫を戒める書」八篇を作ったのだそうだ。



まあそのこと自体は別にいいのだが、王莽(大司馬)直属の官である護軍はこう上奏した。


「安漢公の作った「子孫を戒める書」は素晴らしいので全国各地に広め、専門の教師を置いて学ばせるようにしましょう」


それを受けた大臣たちは、この「子孫を戒める書」を暗唱出来る者を官僚名簿に特殊技能として記載した、という。




「孝経」並に扱うようにした、とか王莽の神格化が激しすぎてうすら寒くなってくる怖いエピソード。