デキるビジネスマンのための中国古典その2

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デキるビジネスマンは当然に歴史上の偉人や成功者の手法を参考にしていくものであろう。


その中でも、皇帝にまで上り詰めた人間の手法というのは大志を抱くビジネスマンほど参考にするものである。




是時、太后姉子淳于長以材能為九卿、先進在(王)莽右。莽陰求其罪過、因大司馬曲陽侯(王)根白之、長伏誅、莽以獲忠直、語在長傳。根因乞骸骨、薦莽自代、上遂擢為大司馬。是歳、綏和元年也、年三十八矣。
莽既拔出同列、繼四父而輔政、欲令名譽過前人、遂克己不倦、聘諸賢良以為掾史、賞賜邑錢悉以享士、愈為儉約。
母病、公卿列侯遣夫人問疾、莽妻迎之、衣不曳地、布蔽膝。見之者以為僮使、問知其夫人、皆驚。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

かの王莽は38歳にして大司馬という宰相の地位となった。

彼は世間の評判を得るために賢良に推挙された者を自分の部下として迎え入れ、自分への恩賞は全て配下に分け与え、自らの生活は倹約した。


彼の母が病気になると大臣や列侯たちは妻をお見舞いに向かわせたが、それを出迎えた王莽の妻は膝までという短い布の衣をまとったみずぼらしい姿だったため、会った者はみな彼女が王莽の家の家内奴隷だと誤解するほどだったという。




デキるビジネスマンたるもの、ある程度出世してからが大事である。

そこで良い評判を得ることは更なる出世の必要条件であり、そのためには家族をも犠牲にした過度なまでの演出が必要だという事を王莽は教えてくれている。




初莽妻以莽數殺其子、涕泣失明、莽令太子臨居中養焉。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)