『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その10

その9の続き。


始、風益州令塞外蠻夷獻白雉、元始元年正月、莽白太后下詔、以白雉薦宗廟。
羣臣因奏言「太后委任大司馬莽定策安宗廟。故大司馬霍光有安宗廟之功、益封三萬戸、疇其爵邑、比蕭相國。莽宜如光故事。」
太后問公卿曰「誠以大司馬有大功當著之邪?將以骨肉故欲異之也?」
於是羣臣乃盛陳「莽功徳致周成白雉之瑞、千載同符。聖王之法、臣有大功則生有美號、故周公及身在而託號於周。莽有定國安漢家之大功、宜賜號曰安漢公、益戸、疇爵邑、上應古制、下準行事、以順天心。」
太后尚書具其事。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

当初、益州に対してほのめかし、塞外の異民族に白い雉を献上させた。元始元年正月に、王莽は元后に「献上された白い雉を宗廟にお供えするように」という命令を出すよう申し出た。



臣下たちはその件について「太皇太后は大司馬王莽に委任して(皇帝を擁立し)宗廟を安んじました。同じように(皇帝を擁立し)宗廟を安んじた功績のあった大司馬霍光は三万戸増加され、かの相国蕭何と同様に相続しても爵位や領土を減らされないという恩典を与えられました。王莽にも霍光の前例と同じ恩典を与えるべきです」と上奏した。



元后は三公・九卿らに「本当に大司馬王莽は表彰すべき大きな功績があるのであろうか?それとも私の肉親だからと特別扱いしようとしているのか?」と問いただした。



臣下たちはそこで盛んに「王莽の功績と人徳は千年前の瑞祥、周の成王の時と同じ白い雉が献上されるほどです。太古の聖王たちの制度では、臣下に大きな功績があれば生きているうちから素晴らしい称号を与えるものです。それゆえ周公旦は生きているうちから「周」という号を託されたのです。同じように王莽にも王朝を安定させ皇帝の血筋劉氏を守った功績があるので、「安漢公」という号を賜い、領土を加増し、相続特権を付与し、古の制度と合致させ、最近の事例にも倣うことが、天の御心に叶うことなのです」と述べ立てた。




王莽は自作自演で「白い雉」を南方の化外の民より献上させた。


交阯之南有越裳國。周公居攝六年、制禮作樂、天下和平、越裳以三象重譯而獻白雉曰「道路悠遠、山川岨深、音使不通、故重譯而朝。」成王以歸周公。公曰「徳不加焉、則君子不饗其質。政不施焉、則君子不臣其人。吾何以獲此賜也!」其使請曰「吾受命吾國之黄耇曰『久矣、天之無烈風雷雨、意者中國有聖人乎?有則盍往朝之。』」周公乃歸之於王、稱先王之神致、以薦于宗廟。
(『後漢書』列伝第七十六、南蛮伝)

これは周王朝における周公旦の摂政時代に「越裳国」という言葉も通じない国が中国における聖人の存在を感じて白い雉を献上に来た、という故事を踏まえたことである。


つまり、同じように今この時代にも周公旦のような聖人がいるのですよ、というわけだ。




ここにおいて、王莽は聖人周公旦に自らを重ね合わせるという新たなフェイズに移行したのであったと言えよう。





また、文中の「疇其爵邑」についてはこちらを参照。列侯などの領土は代を重ねるごとに一部を没収されるのが普通であったが、霍光や蕭何は特に免除された。王莽も同様にすべき、ということである。