予言とゴマすり

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110712/1310398318で紹介した蜀漢の譙周さんの素敵エピソードを彩る話。

襄陽記曰、魏咸熙元年六月、鎮西將軍衛瓘至於成都、得璧玉印各一枚、文似「成信」字、魏人宣示百官、藏于相國府。(向)充聞之曰「吾聞譙周之言、先帝諱備、其訓具也、後主諱禪、其訓授也、如言劉已具矣、當授與人也。今中撫軍名炎、而漢年極於炎興、瑞出成都、而藏之於相國府、此殆天意也。」是歳、拜充為梓潼太守、明年十二月而晉武帝即尊位、炎興於是乎徴焉。
(『三国志』巻四十一、向朗伝注引『襄陽記』)

蜀漢が滅ぼされた時、衛瓘は「成信」と読める玉印を成都で手に入れ、それを晋王(相国)に献上した。



それについて、蜀漢の向充はこう述べたという。


「譙周先生によれば、先主の諱は「備」すなわち「備える」。後主の諱は「禅」すなわち「授ける」です。これは劉氏が既に帝位を人に授けるという意味なのです*1。そして今撫軍将軍(司馬炎)の名は「炎」です。これは蜀漢元号が「炎興」で終わり、玉印という瑞祥が現れて相国府に献上された。これはもう天の思し召しに違いありません!!!!」



その年、向充は梓潼太守になった。
まあ、ぶっちゃけ一種の恩賞なのだろう。

譙周先生の中二エピソードを自分の出世に利用した向充は抜け目ないな。




*1:魏ではなく、蜀漢が次の天子へ帝位を授けるかのような言い方である。