虎賁・羽林の待遇改定

八月庚子、詔減虎賁・羽林住寺不任事者半奉、勿與冬衣。
【注】
東觀記曰「以京師水旱疫病、帑藏空虚、虎賁・羽林不任事者住寺、減半奉。」據此、謂簡選疲弱不勝軍事者、留住寺也。
(『後漢書』紀第七、孝桓帝紀、延熹五年)


後漢桓帝の時、皇帝の近衛兵である虎賁・羽林についてこんな命令が出された。


「虎賁・羽林で任務に耐えられなくて官舎に住んでいる者は給料半減。冬着支給もしないから。」




どうしてこういうことが起こるかというと、虎賁・羽林は世襲制であったからではなかろうか(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110928/1317137600)。

多分、虎賁・羽林の第二世代、第三世代以降には生まれつき虚弱な者もいただろうから、そういった者は父も虎賁・羽林だから他に生業もなく、どこにも行き場が無くてずっと官舎に住みつくしかなかったのではなかろうか*1

そんな者たちも身分は近衛兵なので俸給等を支給していたが、財政的に苦しくなったようだ。



後漢の虎賁・羽林制度の限界とか問題点とか何か言えるのかもしれないが思いつかない。

*1:もちろん、戦傷者も含まれているかもしれない。