(龐)會勇烈有父風、官至中尉將軍、封列侯。
(『三国志』巻十八、龐徳伝)
三国時代末期の龐会は「中尉将軍」になったと『三国志』に書かれている。
少なくとも、中央研究院の漢籍電子文献ではそうなっている。
しかし、これはどうも誤りらしい。
左衛將軍、一人。右衛將軍、一人。二衛將軍掌宿衛營兵。二漢・魏不置。晉文帝為相國、相國府置中衛將軍。武帝初、分中衛置左右衛將軍、以羊葰為左衛、趙序為右衛。
(『宋書』巻四十、百官志下)
龐会がなったのはこの「中衛将軍」なのだ。
ということは、龐会は司馬昭の元で近衛兵の将軍になったということである。
漢王朝の時代に魏王に忠誠を尽くした人物の子が、魏王朝の時代に晋王に忠誠を尽くす。
子は父の背中を見て育ったのだろう。
なかなかいい話じゃないの。