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李延年、中山人也。父母及身兄弟及女、皆故倡也。延年坐法腐、給事狗中。而平陽公主言延年女弟善舞、上見、心説之、及入永巷、而召貴延年。延年善歌、為變新聲、而上方興天地祠、欲造樂詩歌弦之。延年善承意、弦次初詩。其女弟亦幸、有子男。延年佩二千石印、號協聲律。與上臥起、甚貴幸、埒如韓嫣也。
(『史記』巻一百二十五、佞幸列伝、李延年)

漢の武帝の時代の人、李延年。



彼は宮刑を受けて去勢された宦官であったが、おそらくはそれ故にカストラート的な美声の持ち主であったらしく、その歌声で武帝を魅了した。




武帝は彼を寵愛して自分の寝所に招き入れ、かつていたBL的な意味での仲良し韓嫣にも匹敵する寵愛ぶりであった。






あっ・・・(察し)




たぶん、彼は手術済の美人のニューハーフ的な存在だったのだろう。




孝武李夫人、本以倡進。初、夫人兄延年性知音、善歌舞、武帝愛之。每為新聲變曲、聞者莫不感動。延年侍上起舞、歌曰「北方有佳人、絶世而獨立、一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得!」 上嘆息曰「善!世豈有此人乎?」平陽主因言延年有女弟、上乃召見之、實妙麗善舞。由是得幸、生一男、是為昌邑哀王。
(『漢書』巻九十七上、孝武李夫人伝)

なお、李延年の妹の李夫人は武帝の寵愛を受けて男子を産んでいるのだが、李夫人が寵愛されるきっかけは既に武帝に見出されていた李延年の歌声を聴いたことであったという。



つまり、李延年の方が先に寵愛されていたのである。




美姫が皇帝の寵愛を受けてその兄弟も皇帝に重用されるようになるというのは良くある話だが、漢の朝廷ではしばしば「美少年が皇帝の寵愛を受けてその姉妹も皇帝に寵愛される」らしい。