執金吾

執金吾屬官有武庫令丞、緹騎二百人、持戟五百二十人、輿服導從、光滿道路、群僚之中、斯最壯矣。中興以來、但專徼循、不預國政。
(応劭『漢官儀』)


漢代、宮殿警護の官である執金吾は諸官僚の中でも特に威容を誇るものであった。

ただ、前漢においては中央の政治に参与する立場であったが後漢光武帝以降は国政から外されて宮殿の見回りだけが任務となったということである。



初、光武適新野、聞(陰)后美、心悦之。後至長安、見執金吾車騎甚盛、因歎曰「仕宦當作執金吾、娶妻當得陰麗華。」
(『後漢書』本紀第十上、皇后紀上、光烈陰皇后)


光武帝といえば「仕官するなら執金吾になりたいな。あと陰麗華ハァハァ」という有名な言葉を残した人なのだが、皇帝になるとその憧れの官職から権限を取り上げるとは光武帝って何か凄い。