まぶたの母

九江太守武陵陳子威、生不識母、常自悲感。游學京師、還於陵谷中、見一老母、年六十餘、因就問「 母姓為何?」曰「陳家女李氏。」「何故獨行?」曰「我孤獨、欲依親家。」子威再拜長跪自白曰「子威少失慈母、姓陳、舅氏亦李、又母與亡親同年、會遇於 此、乃天意也。」因載歸家、供養以為母。
(応劭『風俗通』愆禮)


漢代、陳子威なる人物がいた。彼は物心ついたころには母を失っており、いつもそれを悲しんでいた。


彼が都に遊学して帰る際、独りで旅をする六十歳ばかりの老女に出会った。


彼女と話をしてみると、彼女は陳氏の家の李氏という女性で、家の者がいなくなってしまったので実家に帰るところであったという。
つまり李氏という姓で陳氏に嫁いでいたが、夫や子が全員死んで身を寄せる先が実家しかなくなってしまったのだろう。


それを聞いた陳子威は、「私も幼くして母を失いましたが、私は陳氏で母は李氏、しかも母と貴方は同年代です。ここで出会ったのは天の思し召しに違いありません」と言い、彼女を自分の家に連れ帰って母親として扶養したという。




実母と同姓で婚家も同じ!→自分の母の代わり!凄い偶然!天意!


ということだろうか。なかなか興味深い。

なお応劭先生はこの件について批判的で、「可哀想だから連れて行くっていうだけならともかく母親として遇するとかないわー」とか言ってる。