賜姓か復帰か

孫韶字公禮。伯父河、字伯海、本姓俞氏、亦呉人也。孫策愛之、賜姓為孫、列之屬籍。
(『三国志』巻五十一、孫韶伝)

呉書曰、(孫)河、堅族子也、出後姑俞氏、後復姓為孫。河質性忠直、訥言敏行、有氣幹、能服勤。少從堅征討、常為前驅、後領左右兵、典知内事、待以腹心之任。又從策平定呉・會、從權討李術、術破、拝威寇中郎將、領廬江太守。
(『三国志』巻五十一、孫韶伝注引『呉書』)

三国呉の孫韶の父孫河は元の姓を「俞」と言った。



それが孫氏になる経緯について、『三国志』では孫策に姓を与えられたとだけ記すが、『呉書』によれば元々が孫氏であったが、外家(父の姉妹の嫁ぎ先?)俞氏の養子となり、また孫氏に戻った、とされている。




三国志』と『呉書』ではこの姓変更の印象がまるで変ってくる。『三国志』だけではまるで血縁の無い孫氏を名乗った(名乗らされた)ようではないか。


三国志』も外家への養子入りと戻ったことを記してくれればいいのに。